1.タクシー配車アプリとは
中国で急速に利用者が増えているタクシー配車アプリ。タクシーに乗りたい時、専用のアプリから自分のいる現在地と行き先を登録すると、近くにいるタクシー運転手からアプリを通じてあと何分で迎車に行くと返事が返ってくるサービスだ。タクシーが拾いにくい通勤ラッシュ時や天候の悪い日、あるいは郊外で流しのタクシーがいない場合などでも確実にタクシーが捕まえられると若者を中心に利用されている。日本にも同様のアプリはあるが、そのアプリを提供する会社のタクシーしか呼べないのが一般的だ。一方、中国のタクシー配車アプリは特定のタクシー会社が作ったものではなく、運転手のスマートフォンにアプリが入っていさえすれば、所属する会社を問わず配車の呼び出しに応答することができる。
中国で最初に登場したタクシー配車アプリは、2011年の「揺揺招車」(現在はサービス終了)で、一時は全国に30以上のアプリが存在していた。現在は徐々に淘汰が進み、北京小桔科技有限公司が運営する「嘀嘀(Didi)打車」と杭州快智科技有限公司が運営する「快的打車」が市場を二分する状況となっている。
「嘀嘀打車」は2012年9月に北京市でサービスを開始し、現在は全国32都市をカバー。詳細な利用者数は公開されていないが、2013年末時点でタクシー運転手35万人、ユーザー登録数は2200万人以上とされる。一方の「快的打車」は2012年8月に浙江省杭州市でサービスを開始し、全国45都市をカバー。こちらも詳細を明らかにしていないが、タクシー運転手35万人、ユーザー登録数は2000万人以上となっている。
2.タクシー配車アプリの基本的な機能と操作方法
いずれのアプリも操作は似ており、アプリを開くとスマートフォンのGPSが自分の現在位置と周辺を走るタクシーを表示するので、行き先を音声あるいは文字で登録し、必要な場合は余分に支払うチップの金額を決定する。
運転手側では、運転中にいちいちスマートフォンを確認しなくても済むように、依頼者の現在地と行き先、概算の走行距離が着信を知らせる効果音と共に音声と文字で通知される。依頼者が音声で登録した場合には、その声がそのまま流れる仕組みだ。応答する場合は画面に表示される「抢单(依頼を受ける)」のボタンを押して、依頼者の元に向かえばよい。運転手が応答すると依頼者側のスマートフォンには、運転手の名前と車のナンバーが通知され、おおよその到着時間もわかるようになっている。またアプリから事前にタクシーを予約しておくことも可能だ。
「快的打車」の画面例。行き先などを登録して「开始打车!(タクシーを呼ぶ)」を押すだけでよい。運転手が応答すれば「您已被抢单(配車受付済み)」と表示される。運転手側の画面には依頼一覧が表示される。
タクシーが目的地に着いたら、通常のように運賃を現金で支払うか、第三者決済サービスで支払う旨を運転手に伝える。「嘀嘀打車」はチャットアプリの微信(WeChat)を運営する騰訊(テンセント)の微信支付、「快的打車」は阿里巴巴(アリババ)グループの支付宝(Alipay)とそれぞれ提携しており、事前に銀行口座を登録してアプリと紐付けておけば、運転手の個人アカウント宛てにスマートフォンから振込み操作をするだけだ。決済が完了すると運転手側のアプリに直ちに入金が通知されるようになっている。またアプリには乗車履歴が残っており、万が一タクシーに忘れ物をしても安心だ。アプリによっては、降車後に運転手を評価する機能がついており、星の数などで優良ドライバーであることがわかるようになっている。
3.タクシー配車アプリをめぐる決済ビジネスの競争
タクシーの利便性が向上する反面、タクシー配車アプリを取り巻く状況はアプリ同士の競争を超え、第三者決済サービス間の覇権争いといった様相を見せている。事実、2013年だけで「嘀嘀打車」は騰訊などから合計3回、総額1.18億ドル(うち騰訊からは4500万ドル)、「快的打車」は阿里巴巴から合計2回、総額1億ドルの投資をそれぞれ受けている。
そして2014年に入ると両社の競争は一層ヒートアップし始める。騰訊が1月6日に中信産業基金と共同で「嘀嘀打車」に1億ドルを投資すると発表し、1月10日から「嘀嘀打車」を利用する乗客と運転手に総額2億元分のキャッシュバックキャンペーンを始めると、同月20日には「快的打車」の阿里巴巴が同様のキャンペーンに5億元を投じると追随した。キャッシュバックの概要はこうだ。
いずれもキャッシュバックを受け取るには、アプリと提携する第三者決済サービスに自分の銀行口座を登録する必要がある。第三者決済サービスは、ネットショッピングはもちろん、携帯電話の料金や光熱費の支払い、最近では保険料や学費の支払いまで全てスマートフォンからできてしまうが、サービスによる大きな違いがないため、いったん口座を登録してしまえばユーザーはその決済サービスを長く使う傾向がある。騰訊や阿里巴巴は、最初の大きなハードルとなる口座の登録をクリアするためだけに莫大な資金を投入したわけだ。またこのキャンペーンは、全国のタクシー運転手を無料の広告塔兼カスタマーサポートにすることにも成功した。タクシー運転手は第三者決済サービスで運賃を受け取らなければキャッシュバックの対象とならないため、おのずと乗客に微信支付や支付宝の利用を勧め、初めての人には根気よく使い方を教えることになる。そして乗客がタクシーを降りた後、友人や家族に「今日はタクシー代が浮いた」と話せば、キャンペーンの内容は口コミで次々と広がり、新たなモバイル決済ユーザーの輪もどんどん拡大するという相乗効果が生まれるのだ。
このキャッシュバックキャンペーンは大成功を収め、「嘀嘀打車」は最初の7日間だけで微信支付からの決済が100万回を超え、合計2000万元のキャッシュバックを行ったと明かしている。そしてタクシー運転手もこのキャンペーンのために複数台のスマートフォンを用意して乗客獲得競争を繰り広げた模様だ。キャッシュバックの回数は電話番号ごとにカウントされるため、スマートフォンの台数分だけ毎日多くのボーナスが手に入るためだ。ライバルより早く配車依頼に応えられるよう、最近サービスが始まったばかりの4G回線を契約したという運転手の話も聞く。それでなくても効率よく客が拾えて空車率が減り、うまくいけばチップがもらえるとアプリを歓迎する声は多い。
なお両アプリとも金額や条件を少しずつ変えながら2月以降もキャンペーンを続けている。騰訊と阿里巴巴はどちらも時価総額で10兆円を超えると言われており、スマホアプリを活用した両社の覇権争いは今後も当分の間続きそうだ。
4.実際に支払ってみると・・・
筆者はある日タクシーで移動する際に、「快的打車」を使って支付宝で運賃を支払ってみた。北京市朝陽区長虹橋西から幸福三村までおよそ2キロ、普段は14元ほどの距離だ。
アプリからタクシーを呼び、乗車するとすぐに運転手からスマートフォンに支付宝のアプリが入っているかと尋ねられた。そして、支付宝で運賃を払えば10元のキャッシュバックがある旨を話すと、助手席のダッシュボードに貼ってある支払い用の二次元バーコードを指差した。目的地に到着したら、支付宝のアプリを開いて左上の読み取り機能「扫一扫」でバーコードを読み取り、運転手の支付宝アカウントに運賃の14元を支払う手続きをする。すると10秒ほどで運転手のスマートフォンに「支払い完了」という表示がでた。そして自分のスマートフォンにも支払い完了の通知と一緒に、3営業日以内にキャッシュバックを行うというメッセージが届いた。時間や場所によっては通信に時間がかかることもあるようだが、支払いはあっという間に終わった。
5. タクシー配車アプリが引き起こす社会問題
大規模なキャンペーンで一気に知名度を上げたタクシー配車アプリだが、事前には想定していなかった問題も起きている。例えば、繁華街でタクシーがなかなか拾えない状況の中、若者がチップを上乗せしてようやく呼んだタクシーが到着した途端、近くで待っていた老人が先に乗り込んできて「この若者よりずっと前からタクシーを待っていた。小さな孫を連れているのに乗車拒否するのか」と騒いで喧嘩になったという“事件”。若者は自分が呼んだタクシーだと主張し、運転手も若者を乗せなければチップがもらえないと悩んだが、結局老人と相乗りすることになり、遠回りした分だけ若者が多く運賃を払うはめになったという。いわゆる“ITリテラシー”の差が生活に影響を及ぼす例として、この手の記事はインターネット上にたくさん出回っている。
チップ制度自体は「どんなに混んでいても5元追加するだけでかなりスムーズにタクシーが捕まる」と受け入れる乗客が多いものの、高額のチップ目当てに遠くにいるタクシーが応答したため長時間待たされた結果、運転手とチップの支払いをめぐってトラブルになる例も。これについて各地の物価局は、タクシーの価格秩序を乱すとしてチップ制度に概ね反対の立場を示している。弁護士らも「タクシーはサービスの提供において差別をしてはいけないと運輸局が定めている」として、運賃以外に高いチップを払わなければいけない状況や、ましてやスマートフォンを使えない人がタクシーを利用しにくい状況は、規定に違反していると訴えている。
またタクシーの乗客からは、「運転手が始終アプリを気にしていて事故を起こしそう」という声や、「アプリからひっきりなしに配車依頼の音声や着信音がして、乗っている間ずっとうるさい」、「旅行先でタクシーがつかまらない」、「外国人はアプリも決済サービスも使っていないため、さらにタクシーが捕まえにくい」といった声もでている。
6. スマホアプリの中国展開を狙うには
タクシー配車アプリをめぐる状況は、まさに中国のインターネット市場の発展を表す縮図だ。アプリ、ゲーム、ウェブサイトを問わず、運営側はキャッシュバック、値引き、奨励制度などのキャンペーンで消費者の興味を引き、少々の問題などは気にせず強引に市場を開拓していく。
現在のアプリ市場では、そのアプリが生活をより便利に、より豊かにするものであることに加え、力のある第三者決済サービスに見染められることが成功への近道となっている。モバイルゲームであれ、生活情報サービスのアプリであれ、利用において決済が伴うものは数多い。現時点でアプリの製作元やパブリッシャーに大掛かりなプロモーションを行う体力がなくとも、決済サービス会社に自社のアプリを利用した新規ユーザー獲得作戦をアピールできれば中国での成功は約束されたも同然といった状況だ。
騰訊が1月末の春節(旧正月)にあわせてリリースした「微信紅包(微信お年玉)」は、ごく単純なサービスながら、ユーザーのニーズと趣向にマッチして大ヒットし、微信支付は新たに1億人の決済ユーザーを手に入れた。なかでもちょっとしたギャンブル気分が味わえる「運だめしお年玉」は、お年玉を配る人がチャットグループを指定してお年玉の数と総額を決めると、メンバーが先着順にお年玉をもらえるもので、金額がランダムに決まるため1元に満たない額が入っていることも。今までの“あけおめメール”の代わりに気のきいた新年の挨拶ができるとして、旧正月の3日間だけで80億元がやりとりされた。お年玉サービスを利用するためには微信支付に自分の銀行口座を紐づける必要があることから、騰訊にとってはただの話題作り以上の成果が得られたようだ。
日系企業が中国でヒットするサービス(アプリ)を考えるにあたっては、現地のニーズに合致しているか、あるいは新たにニーズを掘り起こすことができるか、決済サービスとうまく組み合わせることができるか、そしてクチコミが好きな中国人のために話題を提供できるかが重要だ。ゲームならばグラフィックの美しさや操作性の高さも必要になるが、実用系サービスや娯楽系アプリであれば事前のF/Sをしっかりやることで、おのずと決済サービス会社にアピールするポイントが浮かび上がってくるはずだ。