処理水放出が与える日本産食品輸出への影響

東京電力福島第一原発で生じた処理水の海洋放出計画が報道で取り上げられて以降、中国税関の日本産食品に対する検査強化が大きな影響を及ぼしている。特に水産品については、産地を問わず中国税関での検査率100%の全量検査の対象となっており、生鮮類の輸出は事実上不可能な状態が続いている。中国の通関現場では、正式な通達がないまま現場レベルでレギュレーションが変わることも多く、輸出をする日本企業も難しい判断に迫られている。

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輸入規制の経緯と中国での日本食の需要

中国における日本産食品の輸入規制の多くは、2011年3月の東日本大震災から派生した東京電力福島第一原発事故によって始まっている。福島県周辺の1都9県(福島、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、長野)で製造された食品は一律で輸入禁止という厳しい条件(2018年より新潟産の米については条件付きで解禁されている)は、日中の政府間交渉等で解禁に向けて話が進展していると言われた時期もありながら、今に至るまで緩和の目途が立っていない。

一方で、中国の日本食レストランはこの10年で大きく店舗数を増やし、JETROの調査レポートによると、2013年には1万店程度だった日本食レストランの店舗数が、2019年では約6万5千店と6倍以上に増えている。世界的な和食ブームや中国の経済成長による所得向上も後押しし、かつては「日式(日本風)レストラン」とも言われた価格も味もそれなりの店が多かった中国で、今や日本から直輸入した高級食材と、日本で修業をした本格派の料理人、さらに高級感のある内装を備えた中国の日本食レストランが、日本酒と共に日本産食品の輸出増加に多大な貢献をしてきた。

余談だが、たまに日本の知り合いから「中国に出張に行くので中国人に渡すオススメのお土産を教えてほしい」と聞かれることがあるが、「相手がお酒を飲まれる方であれば、新潟産の日本酒を持っていくと喜ばれます。だって今は中国で輸入できませんから」と教えてあげると喜んで買っていく。個人用であれば持ち込みは問題ないので、規制があるからこそのプレミアム品ともいえる。

処理水報道を受けた現地の様子

今回の一連の報道をうけ、当社の取引先でもある上海の食品系商社に話を聞いたところ、すでに日本から到着した水産品以外の一般加工食品も通関時間が普段の倍以上かかっており、また、通関終了後に付与される衛生証明書(中国国内における販売許可書。これが発行されないと店舗への納品などもできない)の発行にもさらに倍以上の時間がかかっているとの報告をうけている。この検査時間の長期化は、特に鮮度が重要な水産品の通関には致命的であるため、寿司や刺身が人気の日本食レストランの売上にも大きな影響を与えることになりそうだ。

またこの数年で政治体制の大きな変化が見られる香港では、処理水が放出された場合は10都県の食品を直ちに輸入禁止にする計画だと発表している。香港のスーパーで日本産食品のイベントを運営する会社からは、「水産品は加工品を含めて人気のジャンルで、それが扱えなければ集客的にも極めて厳しい。また貿易のハードルが低いという香港の強みが今後なくなってしまう不安がある」と先行き不透明な情勢を懸念する声が聞かれた。

今後どうなっていくか

2022年の農林水産物・食品輸出額は、前年比+14.2%の1兆4,140億円で、さらに国・地域別でみると1位が中国で2,782億円(前年比+25.1%)、2位が香港で2,086億円(前年比-4.8%)だった。農林水産省が掲げる「2025年までに輸出額2兆円、2030年までに5兆円」という目標を達成するためには、この中華圏の2大市場が引き続き最重要であることは間違いない。さらに水産物・加工食品は、品目別の輸出額目標でも全体の過半数を占めており、この状況の長期化は数字的なインパクトも大きく早期対応が求められる。

日本政府としては、今回の海洋放出計画にあたり、国際原子力機関(IAEA)による安全性のお墨付きを得るなど、客観的なエビデンスの蓄積と情報公開を行ってきた。その一方で、近隣諸国からみれば、規制緩和がなされていない段階での日本政府の方針発表が、新たな政争の具になりうる交渉材料の一つとしてとらえられた面も否めない。2011年以降、規制緩和の噂は各所で耳にしながらも今日にまで至ってしまったのは、こうした食品輸入規制が中国の外交カードになってしまった点が大きく、中国政府としても相応の見返りがないと振り上げた拳を下ろす理由は見出せないようにも思える。

中国では2022年より「輸入食品海外製造企業登録管理規定」を施行し、中国税関の管理システム(シングルウィンドウ)へ海外企業登録および個別商品の登録を事前に行わなければいけなくなっており、海外食品に対する管理強化の流れも中国政府の背中を押している。

かくいう筆者も、震災のあった2011年当時は上海にて日中間の食品貿易に関わっており、あの日を境にこれまで日本の食品関係者が長年積み上げてきた「日本食品=安心・安全」というイメージが180度変わってしまう瞬間を目の当たりにしてきた。あれから12年、農水省をはじめとした行政の支援、震災復興を経た民間企業の地道な輸出プロモーション活動が実を結び、中国への食品輸出も成長軌道に乗ってきたところでまた振り出しに戻るような事態は避けたい。EUが8月より日本産食品の輸入規制を全廃するという朗報とはあまりに対照的で寂しく感じるが、日本にとって最重要市場である中国への輸出環境の改善は、政府・民間が一体となって早急に取り組むべき問題となっている。

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この記事を書いた人

明治大学法学部卒業。食品系業界紙の記者、IT関連企業を経て2010年に訪中。上海の現地商社の代表として日本製品の輸入、販路開拓支援、各種プロモーション事業を展開する。JETRO上海の農林水産コーディネーター、日本政策金融公庫(農林水産事業本部)の中華圏輸出アドバイザーを歴任する。2018年に当社グループ会社であるセイノーアジアトレーディング株式会社に取締役として参画、2023年4月より現職。

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